No.10   Dec  15, 2004

「ロスト・イン・トランスレーション」
監督・脚本:ソフィア・コッポラ
出演:ビル・マーレイ, スカーレット・ヨハンソンほか
「口のきき方」
梶原 しげる
「経営革命の構造」
米倉 誠一郎
「ぷちナショナリズム症候群―若者たちのニッポン主義」
香山 リカ
「フューチャー・イズ・ワイルド―驚異の進化を遂げた2億年後の生命世界」
ドゥーガル・ディクソン&ジョン・アダムス
「科学の現在を問う」
村上 陽一郎
「パラサイト・シングルの時代」
山田 昌弘
「カリフォルニア物語 (1)〜(4)」
吉田 秋生
「交響曲第1番・交響組曲「天女と漁夫」」
作曲:橋本 国彦
指揮:沼尻竜典
演奏:東京都交響楽団

忘却から蘇った傑作を聴け

遠藤 史(経済学部教員)

「交響曲第1番・交響組曲「天女と漁夫」」
作曲:橋本 国彦
指揮:沼尻竜典
演奏:東京都交響楽団
NAXOS 8.555881J  税込約850円

 「お菓子の好きな巴里娘 二人そろえばいそいそと 角の菓子屋へ ボンジュール」という一節ではじまる歌を聴いたことがあるだろうか。ちょっと昔っぽくて小粋なこの歌の題名は「お菓子と娘」という(西条八十詞)。今なお多くの人々に愛されているこの歌曲を作曲したのは橋本国彦(「国彦」は正しくは旧字)、作曲された1920年代、新進気鋭の若手作曲家だった。当時の人々はこの歌に、まだ見たこともないパリの街角を思い、憧れをかきたてられたにちがいない。

 橋本国彦が非常にすぐれた作曲家であったことは、「お菓子と娘」のピアノ伴奏部をみるだけでわかる。童謡のように愛らしいメロディーの背後に聞こえる伴奏が、実は歌詞の内容に応じた小さなドラマを繰り広げているのだ。たとえば2番に入る直前では、そこまでの和音中心の書法が突然変わり、左手で歌の旋律、右手で鳥のさえずりを思わせる音形の対位法となって躍動感が高まる。巴里娘はここで並木道を歩き始める(「残る半ばは手に持って 行くは並木か公園か」)。さらに3番では8分音符ごとに移り変わる分散和音がハープのように鳴り響き、歌はパリの街の描写に移っていく(「人が見ようと笑おうと 小唄まじりでかじりゆく」)。このような音楽は単なる思いつきで書けるものではない。その背後には磨き上げられた作曲技術の集積がある。

 今回紹介するCDに収録された「交響曲第1番 ニ調」(Symphony No.1 in D)は、橋本にとって、作曲家としての前半生の集大成といってもよい大曲である。全3楽章、演奏時間約47分のこの交響曲が作曲されたのは1938年から1940年にかけて、初演は1940年であった。日本最初の西洋音楽のプロ作曲家である滝廉太郎が最初の器楽作品「メヌエット」(ピアノ曲)を作ったのが1900年とされているので、日本の作曲界はそれからわずか40年で本格的な交響曲を持つに至ったわけである。この急速な発展にも驚くが、それ以上に印象的なのは、橋本のこの交響曲が、ヨーロッパにおける何かの先行作品を模倣したものではなく、橋本自身の考えをはっきりと刻印した、彼以外には書けない、自立した音楽世界を作り上げているということだ。この曲は、戦前の日本作曲界がたどり着いた頂点の一つを示す、まさに「傑作」と呼ぶに値するものである。

 第1楽章は「マエストーソ」(荘重に)と指示された、幅広くゆるやかな楽章(約16分)である。基音をDに置くが、提示部では3和音をできるだけ避けていくので、日本的な印象が強い。雅楽風に開始される序奏を受けて、第1主題が3音動機(D-E-A)を出し、これが交響曲全編の骨格をなす。堂々とした第1主題に対して、第2主題はわらべうたのようななつかしさを醸し出す。提示部はこの2つの主題を中心にして旋律中心に組み立てられ、橋本がメロディーの才能に恵まれた作曲家であったことを改めて思い出させてくれる。続く短い展開部はモダンかつ軽快で、挿入される短い行進曲やファンファーレが新鮮な風を導き入れる。その風が吹きすぎると、今度は第2主題―第1主題の順で再現が行われ、感動的な盛り上がりを見せたあと、彼方に消えていく。鏡像の形をしたこの楽章は、ソナタ形式を橋本独自の考えで昇華させたものだといえるだろう。

 第2楽章はロ長調でABAの3部形式、アレグレットの2拍子の舞曲である(約11分)。全曲中最もリラックスして楽しく聴ける部分であり、「名曲アルバム」で流されてもいい感じだ。Aの部分では沖縄民謡の音階に基づいた楽しいメロディーが流れる。これは何度も繰り返され、少しずつ変容する。Bの部分で使われるのは本土の民謡音階であり、躍動感に満ちたお祭りの音楽を思わせる。このBの律動の上に、Aの再現がのって盛り上がっていく再現部はとても楽しい(ラヴェルの「ボレロ」を思わせる展開である)。最後は和太鼓まで加わっての大宴会となる。

 第3楽章は主題と変奏というアカデミックな構成である(約18分)。ここでは明確にニ長調の調性が意識され、全曲のうちでは最もヨーロッパ的である。ここで橋本は、同じ形式をとるベートーヴェンの第9のように変奏曲を積み上げていくのではなく、むしろさまざまな音楽の世界をパノラマのように、水平的に見せようとしている。その手さばきは鮮やかであり、紡ぎだされる音楽は繊細な管弦楽法に満ちている。変奏のほうも、古典派・ロマン派風あり、民族楽派風あり、印象派風ありと多彩だ。それはまるで作曲者が自分の歩んできた道を振り返っているかのうようである。全曲の終わりを締めるのは、最後に置かれたフーガだ。ここではフーガ主題・第3楽章の主題・第1楽章の3音動機が組み合わされ、最後のニ長調の和音が鳴り響くまで一瞬たりとも止まらない見事な対位法の音楽が作られている。

 アカデミックな作曲技法の冴えもさることながら、この交響曲の最大の魅力は、全曲に満ちあふれた美しい旋律だ。その旋律には誰にでも直感的に分かる魅力がある。その流れに身をゆだねれば、聴衆には幸福な時間が約束されるような曲―この交響曲は本来そんな曲になるはずだったのだろう。けれども残念なことに、この曲は時代の波に翻弄され、その後半世紀の間忘れ去られてしまったのである。

 作曲者の橋本にとって最大の不幸は、作曲家としてのピークが第二次世界大戦と重なったことである。山田耕筰・信時潔をはじめ当時の作曲家は皆、当然のごとく国家への奉仕を強いられたし、橋本も沈黙していることは許されなかった。彼は東京音楽学校(現東京藝術大学)の作曲の教官という、音楽界の中心人物だったからだ。橋本のこの交響曲も元来は、「皇紀2600年」(1940年がその年にあたる)を祝うために作曲を依頼されたものである。この機会には外国からも多くの作品が寄せられた―たとえば R.シュトラウス(ドイツ)、イベール(フランス)、ブリテン(イギリス)などの20世紀の大作曲家たちが管弦楽の大作を寄せた。諸外国の一流作曲家の作品と並んでこの交響曲が演奏されたときが、おそらく彼の頂点だっただろう。戦後という時代は彼に過酷な運命を与えた。橋本は職を辞し、まもなく45歳で病没する。そしてこの交響曲は「封印」された。新しい日本国憲法に捧げられた交響曲第2番へ調(未初演)と共に。

 その魅力を語り継いだ人々によってこの曲が再演され、長い忘却から蘇ったのは20世紀も終わるころだった。そしてイギリスのレーベルNAXOS が始めた「日本作曲家選輯」に収められることによって、この曲はついに一般の聴衆の手に届くことになった(タワーレコードなどのクラシック音楽コーナーで容易に入手でき、しかも安い)。加えて、このCDには音楽評論家の片山杜秀氏による詳細な解説ブックレット(日本語と英語)がついている。上述の時代の事情については、この解説がより正確に解き明かしてくれる。

 政治と芸術は無縁ではない。だが政治と芸術は混同されてはならない―ショスタコーヴィチの交響曲について批評家たちが指摘するこのことは、戦前の日本についても妥当するだろう。時代にこだわりたい人には、このような視点から聴いてみることをお勧めする。今日の私たちは、この交響曲のあと時代がどう流れていったかを知っている。だが作曲者の橋本国彦はそのことを予見しえなかった。彼はただ、持てる力のすべてを出し尽くして、まだ見えない「交響曲」という頂上に向かって登ろうとした。当時の状況についての評価は人によって異なるだろうが、彼の芸術的燃焼に対する尊敬のまなざしだけは忘れてはならないと思う。

 カップリングされている交響組曲「天女と漁夫」は、羽衣伝説に基づいたバレエのための音楽である。色彩感に満ちた明快な構成で、アンコールのように聴ける。最後に注意を一つ。このCDはアマゾンなどのホームページ上でも買えるけれども、その際に注意してほしいことは、漢字の「橋本国彦」ではなく、ローマ字で Hashimoto と打ち込んで検索することだ(このCDは輸入版扱いなので)。僕のやりかたが下手なのかもしれないが、漢字の方で検索すると、たいていは「お菓子と娘」そのほかの歌曲しか出てこないのである。